梨木果歩さんの小説「西の魔女が死んだ」は1994年の発売以来、累計発行部数が200万部を超える大ベストセラーです。
わたしも折に触れて読み返していますが、この小説は何といっても「西の魔女」こと英国人のおばあちゃんが本当に魅力的なんですよね。
おばあちゃんが繰り出す数々の名言は現代のわたしたちの心にも深く刺さり、たくさんの示唆を与えてくれています。
この記事では「西の魔女が死んだ」のおばあちゃんの名言から学んだことを紹介します。
あらすじはこちら。
中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも……。
https://www.shinchosha.co.jp/book/125332/
小説「西の魔女が死んだ」おばあちゃんの名言から学んだこと
小説「西の魔女が死んだ」おばあちゃんの名言から学んだことを、5つにまとめました。
- すべての基本は「規則正しい生活」
- 諦めそうになったときこそ変化の一歩手前
- 生きやすい場所で生きる
- 目に見えるものだけに囚われない
- 人の魂は永遠に生き続ける
①:すべての基本は「規則正しい生活」
おばあちゃんから自分が「魔女の血筋」を引いていると聞いたまいは、自分にも不思議な能力が持てるようになるか尋ねます。
おばあちゃんは、魔女になるには「精神力」が必要だと答えました。
では、精神力を鍛えるにはどうすればいいのでしょうか?
おばあちゃんはこう言います。
まず、早寝早起き。食事をしっかりとり、よく運動し、規則正しい生活をする。
「西の魔女が死んだ」69頁
そんな簡単なことでいいの?と訝しがるまいに、おばあちゃんはこう返します。
いちばん大切なのは、意思の力。
「西の魔女が死んだ」70頁
自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力です。
このおばあちゃんの言葉は、まいだけでなくより良い人生を送りたいと願うすべての人へのアドバイスになるのではないでしょうか。
「規則正しい生活」というのは、簡単そうにみえてとても難しいことですよね。
早く寝ようと思っていてもつい夜更かししてしまったり、
気づくと運動不足になっていたり、食事も適当になったり…。
しかし自分の生活を整えていくことで体調がよくなり、精神的に安定し、やるべきことをやるエネルギーが充電されるんですよね。
まいはこの後、おばあちゃんに促されて毎日のスケジュールを立てます。
『朝は7時に起きて、午前中は家事をして身体を動かし、午後は勉強や読書をし、夜は23時までに寝る。』
こうして自分で決めたことを継続してやり遂げることで「意思の力」がつき、
魔女に必要な精神力が手に入れられる、というわけですね。
物語の中で、魔女のもつ能力が具体的に説明されている箇所があります。
- 見たいと思うものが見えるし、聴きたいと思うことが聞こえる
- 物事の流れに沿った正しい願いが光となって実現していく
ここでもいちばん大事なことは
見たいもの、聴きたいことを「自分で決めること」
だとおばあちゃんは諭します。
時間の使い方、見るもの、聞くもの。
「すべてを自分で決めて、やり遂げる」というトレーニングを毎日行う。
これが魔女になるための修行です。
「魔女修行」という表現を使っていますが、
この小説はまいという普通の女の子の成長を描いた物語。
人間が成長するためには、まず何をすればいいのか?
その問いに対する作者の答えが、まいの魔女修行の内容なのだと思います。
②:諦めそうになったときこそ変化の一歩手前
そもそも、意思の力って生まれつきじゃないの?後から強くできるものなの?
とまいは訊ねます。
この質問に対するおばあちゃんの返事がこちらです。
ありがたいことに、生まれつき意志の力が弱くても、少しずつ強くなれますよ。(中略)
「西の魔女が死んだ」73頁
最初は何にも変わらないように思います。
そしてだんだんに疑いの心や、怠け心、あきらめ、投げやりな気持ちが出てきます。
それに打ち勝って、ただ黙々と続けるのです。
そうして、もう永久に何も変わらないんじゃないかと思われるころ、
ようやく、以前の自分とは違う自分を発見するような出来事が起こるでしょう。
そしてまた、地道な努力を続ける、退屈な日々の連続で、
また、ある日突然、今までの自分とは更に違う自分を見ることになる、
それの繰り返しです。
何かの目標に向かって頑張っている人に、大きな勇気を与える言葉ではないでしょうか。
「新しいことに挑戦してみたけど進歩が感じられず辞めてしまった」という経験は誰にでもあるはず。
もう永久に何も変わらないんじゃないかと思われるころ、
ようやく、以前の自分とは違う自分を発見するような出来事が起こる
何も変わらない日々をどう過ごすかで、変われるか変われないかが決まるんですよね。
諦めそうになるくらい辛いときが、光の射す一歩手前。
自分にとって大事な目標は、簡単に手放さないようにしたいですね。
③:生きやすい場所で生きる
まいは中学に入ってすぐ、クラスの女子からいじめに遭っていました。
物語の冒頭で、まいが不登校になったことは書かれているのですが、
その原因がいじめだったとわかるのは終盤です。
それが、パパに市外への転校を提案された日の夜、おばあちゃんに自分の心の内を明かすシーン。
「転校してあのクラスから抜け出せたとしても、素直に喜べない。敵前逃亡みたいで、後ろめたいんだ」
というまいに、おばあちゃんはこう言います。
自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、
「西の魔女が死んだ」162頁
後ろめたく思う必要はありませんよ。
サボテンは水の中に生える必要はないし、
蓮の花は空中では咲かない。
シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、
だれがシロクマを責めますか
日本では、辛い目に遭っても歯を食いしばって耐え忍ぶことを美徳とする風潮がありますよね。
わたしは前の会社を辞めるときに「逃げるの?」と上司に詰問されました。
聞き流しておけばいいと思いつつも
「わたしは逃げようとしているのか?この先後悔することになるのか?」
とずいぶん考えました。
まいも、転校することを「逃げてるみたいで後ろめたい」と感じていましたね。
しかし、おばあちゃんはそれを説得力のある力強い言葉で否定してくれました。
今にして思えば、本当におばあちゃんの言うとおりだなと思います。
生きづらい場所を離れ、楽に生きられる場所を求めることは「逃げ」ではありません。
なによりも大切な命を守り、輝かせるために必要な行動です。
シロクマがハワイで暑さに必死で耐えていたら、死んでしまいますよね。
「いや、ハワイはだめでしょ!」と誰もが思うはず。
それが、人間となると「逃げ」だとか「卑怯」だと非難されることがあります。
非難する人は、自分の利益のために非難しているだけで、
心の中では生きやすい場所へと積極的に動ける人を羨ましがっているのかもしれません。
「ここは生きづらいな」
と思ったら、もっと楽に生きられる環境を探して、そこへ行くべきです。
世界は広いので、自分が自分らしく生きられる場所はきっとあります。
ないなら自分の手で作りましょう。
頑張るべきところと頑張らなくていいところを、しっかり見極めることが大事ですね。
④:目に見えるものだけに囚われない
本作は優しくあたたかい空気に包まれた作品ですが、平和な世界観を壊すキーパーソンが1人います。
それが「ゲンジさん」という近所の男性です。
まいが学校を休んでおばあちゃんの家にいることを知ると「いい身分だな」と吐き捨て、
おばあちゃんを「外人」呼ばわりし、いかがわしい雑誌を平気でごみ置き場に捨てるような人。
まいは最初からゲンジさんに嫌悪感を抱いていましたが、
その感情を決定づけるような、ある事件が起こります。
ゲンジさんへの怒りを抑えられないまいに、おばあちゃんは語りかけます。
魔女は自分の直観を大事にしなければなりません。
「西の魔女が死んだ」138-140頁
でも、その直観に取りつかれてはなりません。
そうなると、それはもう、激しい思い込み、妄想となって、
その人自身を支配してしまうのです。
(中略)
大事なことは、今更究明しても取り返しようもない事実ではなくて、
いま、現在のまいの心が、疑惑とか憎悪とかいったもので支配されつつあるということなのです。
(中略)
そういうエネルギーの動きは、ひどく人を疲れさせると思いませんか?
そのときはおばあちゃんの言葉を聞き入れたまいでしたが、
まいの逆鱗に触れるような出来事がもう一度起きてしまいます。
まいはおばあちゃんに事の経緯を話すのですが、
このときまいが吐いた暴言に思わず、おばあちゃんはまいの頬を打ってしまいます。。
これがきっかけで、まいとおばあちゃんの関係はギクシャクし、
わだかまりが解けないまま、まいはおばあちゃんの家を離れることになりました。
そして、物語は感動的なラストシーンへと繋がっていくのですが…
わたしも正直、まいと同じようにゲンジさんに嫌悪感を覚えていました。
絶妙にイヤなやつなんですよ。笑
だから、なんでおばあちゃんがゲンジさんをかばうのかわかりませんでした。
ただ、このゲンジさん、最後に突然いい人になるんですよねw
まいが腹を立てた2つの出来事が、
まいの思ったとおりだったのか、それとも思い込みだったのか、
物語の中でははっきりと明らかにされません。
なのでこれはわたしの勝手な解釈ですが、
まいの推測は、おそらく当たっていたのではないか…と思います。
そして、おばあちゃんもそれを知っていた。
でも、大事なことは相手を責めることではなく、
自分の感情をコントロールし、エネルギーの無駄遣いをしないこと
だと、まいに伝えたかったのだと思います。
また、おばあちゃんは心のどこかでゲンジさんを信頼していたようにも見えます。
亡くなったおじいちゃん(=おばあちゃんの夫)が可愛がっていたからかもしれません。
ゲンジさんが周囲に対して快く振る舞えない理由も、わかっていたのだと思います。
わたしたちは、誰かの行動や発言に傷ついたり、腹を立てたり、ときには恨んだりしますよね。
そして、相手を許せないがために、自分をさらに痛めつけてしまうこともあります。
許したいのに許せない。
こんなに苦しいことはありません。
こういうマイナスの感情に支配されると、
魔女にとって大事な「意志の力」が弱まることをおばあちゃんは知っていたのでしょう。
わたしも似た経験がありますが、
人を憎んだり、恨んだりして苦しむのは他でもない「自分」です。
そして、自分がどんなに苦しんでも相手はなにも感じません。
ならば、他人に対する怒りや疑念は早い段階で手放し、自分を楽にしてあげるのが感情の正しい使い方なんですよね。
意地悪をしてくる人は、心の内にやり場のない苦しみを抱えているのかもしれません。
目に見えるものだけに囚われて反応するのではなく、
・自分の思い込みではないか?誤解していないか?
・相手にもなにか事情があったのではないか?
という理性と想像力を働かせることが、人間関係では大事ですね。
口で言うほど簡単ではありませんが…
⑤:人の魂は永遠に生き続ける
この物語の主題は「死」だと思います。
まいはおばあちゃんに、「人は死んだらどうなるの」という直球の質問を投げかけます。
これに対する答えが、かなり秀逸でした。
人は身体と魂が合わさってできています。
「西の魔女が死んだ」116-117頁
(中略)
身体は生まれてから死ぬまでのお付き合いですけれど、
魂のほうはもっと長い旅を続けなければなりません。
(中略)
死ぬ、ということはずっと身体に縛られていた魂が、
身体から離れて自由になることだと、おばあちゃんは思っています。
きっとどんなにか楽になれてうれしいんじゃないかしら
「死んだらどうなるんだろう」とは、誰しも考えたことがあるのではないかと思います。
わたしがはじめて直面したのは、祖父の死でした。
人の最期を思うと、怖くて眠れなくなりました。
また、
「どうせいつか死ぬのなら、努力することに何の意味があるのだろう」
と無気力になった時期もありました。
でも、おばあちゃんが言うように、魂はずっと生き続けるのだとしたら、
一人ひとりが今、悩みながら生きていることにも意味があるのではないかと思えます。
自分の身体を通じて、魂がほんのちょっとでも成長したら、
次の世代にそれが受け継がれていく。
そう考えると、美しく生きないといけないなという
責任感のようなものも芽生えますよね。
「人は身体と魂とでできている」という考え方は、欧米の思想なのかもしれません。
日本で以前「千の風になって」という曲がヒットしましたが、
この歌詞はアメリカの有名な詩を日本語に訳したものなんだそうです。
その詩のタイトルは「Do not stand at my grave and weep」。
「私のお墓の前で泣かないでください」という有名なサビの部分に反映されていますね。
この歌詞は「身体は滅びても、魂は生き続ける」という思想をわかりやすく表現しています。
だからこそ、多くの人の心に響いたのですね。
真実は誰にもわかりませんが、だからこそ「魂は永遠」だと信じることに価値があると思います。
おわりに:「アイ・ノウ」は魔法の言葉
「西の魔女が死んだ」はちょっと疲れたときに読むと、ほっと癒される小説です。
豊かな自然に囲まれた土地で新鮮な食材を使って手作りした食事を楽しみ、
昔ながらの生活の知恵を生かした暮らしがとても素敵でした。
おばあちゃんは英国人でありながら流暢な日本語を話すのですが、あるときだけ英語を話します。
それは、まいが「おばあちゃん、大好き」と言ったとき。
おばあちゃんは決まって「アイ・ノウ(I know.)」と応えます。
このやりとりは作中で何度も出てくる、重要な場面です。
おばあちゃんの「アイ・ノウ」には不思議な力が宿っているように感じました。
「私もまいが大好きよ」よりも深い愛情が伝わってくるような、
「わかっていますよ」よりも深く理解してくれているような。
まいにとって「アイ・ノウ」はおばあちゃんが100%自分の味方であることを実感できる魔法の言葉なんじゃないかなと思います。
心温まる物語として成立させながら、人生全体に通じる学びを散りばめ、
言葉の1つひとつに深い意味が込められている。
梨木香歩さんのすごさに圧倒されつつ、こんな小説に出会えたことに感謝です。
本作品は映画化もされており、U-NEXTで配信されています。
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